スリル満点ジャングル車旅【メダン⇒南アチェ】スマトラ島横断
ジャカルタのあるジャワ島の西側にあるのがスマトラ島。
島全体が起伏に富んでいるため、手付かずのジャングルが多く、野生のトラも生息しています。
平坦な土地は海沿いのみと言ってもよく、農業の発達したのどかなイメージのジャワ島とはかなり違っています。
そんなスマトラ島のジャングルを横断するツアーをご紹介していきますね。
メダンから南アチェのクタブロ村へ
スマトラ島で一番の都市である、北スマトラ州メダンからアチェ州南アチェ県ムッケ郡クタブロ村という素朴な村に向かいます。
なぜ、クタブロ村が目的地なのかというと、それは筆者の良く知る人が住む村だからです。
メダンから南アチェ行きの公共交通機関はなし
ジャカルタのスカルノハッタ空港から、朝7時半の便でスマトラ島北スマトラ州のメダンへ。
2時間ほどで到着し、時差はありません。
空港からタクシーでラクサナ通りにある、アチェ人経営のツアー会社へ行きます。
そこで、三菱L300という9人乗りの車をチャーターします。
運転手の他に乗務員が2人同乗。
1人は前方座席に座り、運転手の助手をします。
助手は警察の機動隊が設けた検問所を通りがかる時に検問員の相手をする役割をします。
実は目的地であるアチェには、インドネシアからの独立を願う独立運動があります。
そのため、国による武力的監視が大きいので、アチェ州へ繋がる道には検問所が設けられているのです。
助手の他のもう1人は後部荷物置き場で横になって眠る運転手の交代員です。
長い道のり
だんだんと山道になるとともに、すごいヘアピンカーブが何度も何度も続きます。
山なのにトンネルはひとつもありません。
ヘアピンカーブのため揺れるので、眠くても眠れないこと請け合いです。
しかし、密林ではなかなかすばらしい景色が見られます。
何もしていないと、長い時間座ったまま、左右に揺られ苦行のようです。
民家はなく、ひたすら山の中のジャングルが続きます。
途中、「ムスリム用」を大きくうたう食堂がポツポツと出現します。
メダンにはキリスト教徒が多く、アチェにはイスラム教徒が多いので、まるで越境地帯を通り抜けるような感覚です。
時々、出現する食堂は質素なのですが、食事や休憩、トイレなどの用事を済ますことができる、まるでオアシスのような存在です。
検問所だらけの夜道を行く
ジャングルの中の道は、ほとんど常に1本しかありません。
夕方になると雨が降ることも多いです。
このスマトラ島横断には約10時間かかりますので、道中で、そのうち日が暮れます。
密林を通り抜けてくると、やがてアチェ州に入り、ムスリムの住むシンキル県スブルッサラームという町に寄ることになります。
ここはジャカルタと違い昼が長いです。
食堂でご飯を食べていると、すぐ近くからジャカルタとは一味違ったアザーン(礼拝の呼びかけ)が響いてきたりします。
食堂は質素なものが多く、夜も薄暗い時があります。
停電もしばしばあり、道々も真っ暗だったりします。
町を出発すると、再びジャングルの夜道になり、検問所が何か所も出現します。
筆者が行った時は、検問所の数を最初は数えていたのですが、そのうち分からなくなってしまいました。
40か所以上は検問所を通ったような気はします。
検問所には警察軍団(Brigade Mobil)、機動隊(Polisi Militer)、国軍(TNI)によるものがあるということです。
過密な地帯では、10~20mおきに検問所を通ります。
検問所に近づくと、道路に竹の棒が横切るように置かれています。
通行する車はその竹を踏んだら、スピードを落とし、検問所前では必ず停止しなければなりません。
ヘッドライトを消し、車の中のランプを点し、乗員の顔が見えるようにしなければならないのです。
尋問されるのが嫌な人は検問員と顔を合わせないようにしましょう。
外国人は特に念入りに尋問されるかもしれません。
身分証明書は必ず準備しておきましょう。
身分証明書がない人は独立派ゲリラだと疑われるということです。
何の目的で移動してるのか、ちゃんと説明できなければなりません。
検問員は飲料水やタバコを要求することがあるので、乗務員はそのようなものをあらかじめ準備しています。
武器を持った軍人が便乗することも
検問所では運転手の助手が「どこから来たか」と検問員に聞かれます。
メダンから来たと正直に答えると、尋問が長くなり厄介なのだということです。
メダンはアチェ州の隣、北スマトラ州の州都で、独立派ゲリラの窓口になっているとのことです。
私たち乗客が検問員に質問された場合は、どのように答えるべきか、乗務員の人たちが指導してくれます。
検問所では「空いている座席はあるか」とよく聞かれます。
座席が空いていると機動隊員や軍人が便乗することもあります。
このような便乗者がいる時は、乗務員が話相手を務めてくれるので、乗客は黙ることになります。
外灯も集落もないただただ真っ暗な、ぐねぐねした山道を押し黙ったまま過ごすことになります。
便乗人と乗務員だけが何やら社交辞令的なおしゃべりをします。
メダンを出発してから、しばらくは道を行く車もチラホラあるのですが、アチェ州に入ってしまうと、行きかう車はほとんどなくなります。
以前は走っていたという公共バスもないので、機動隊員や軍人が検問所間の移動などのために便乗を求めてくるようです。
車がめったにないので、便乗を求めるのは彼らだけではありません。
民間の人も乗ろうとしてきます。
しかし、乗務員が何やかやと乗車を断ってくれます。
機動隊員や軍人は武器を持っているので、従うしかないようです。
12時間35分の旅程を経てクタブロ到着
筆者の場合は日にちが変わった夜中の0時20分、クタブロ村の知人の家へ到着しました。
メダンから途中の休憩なども入れ、12時間35分かかりました。
クタブロ村にはホテルなどはもちろんありません。
夜中なのに家のベランダで家人が、筆者の一行を待っていてくれました。
チャーターした車の乗務員の方たちは、それぞれ知人の家などへ去っていきます。
さいごに
いかがだったでしょうか。
過酷な旅ですので、あまり、おススメでもないのですが、こんな旅もあるのだという参考にしていただければ幸いです。
本記事は筆者が2005年2月9日(水)に旅をした際の記録を編集したものです。
これを書いているのは2018年なので、実に13年も前の話になります。
目的地のクタブロへ到着したその夜、筆者は戦闘の中で逃げ回る夢を見ました。
夢を見る前、ライフル銃を持って同乗してきた機動隊員を見ていたからだと思います。
ジャングルの中のグネグネ道から見える谷底や、土砂崩れで半分塞がったピンカーブの道など、少し間違えば死にまっしぐらの状態でした。
その時、「二度とこの道を通らない」と心に誓ったぐらいです。
2004年12月26日のスマトラ沖大地震の破滅的な津波被害の影響で、2005年8月にはアチェの独立を求める自由アチェ運動とインドネシア政府は和平協定を締結しました。
和平協定の際に、自由アチェ運動は武器を捨て、インドネシア国軍や警察機動隊は撤退したことになっていると思います。
ですので、2018年現在は検問所はないのかもしれません。
クタブロ村に比較的近い、南アチェ県県都タパックトゥアンには、アチェ州州都バンダアチェと北スマトラ州州都メダンから、数は少ないものの飛行機が就航しているようです。