100年前の西ジャワの光景を再現!「謎の日本人」撮影写真展

2018年12月11日(火)、西ジャワ州バンドン市にある、国立パジャジャラン大学の外国人向けコースでインドネシア語を学んでおられるという青木澄夫さんから、次のような写真展の情報をいただきました。

「西ジャワ州のむかし写真展」Pameran Foto Jawa Barat Tempo Dulu

場所:グドゥンサテ博物館(Meseum Gedung Sate)

期間:2018年12月10日(月)~15日(土)

写真展の協力者となっている青木さんは、元中部大学教授でもあり、「日本・東南アジア交流」の研究をしてこられた方です。

1984~1987年の約4年間、JICA職員としてインドネシアで勤務されたこともあります。

西ジャワってどこなの?

今回の写真展では、謎の日本人写真師が約100年前にスマトラ島、バリ島、ジャワ島で撮影した写真のうち、ジャワ島のものの中でも特に西ジャワ地方の風景や人物が見られるとのことです。

西ジャワというのは、その名の通り、ジャワ島の西の方の地方のことで、手っ取り早く言うと「スンダ語を話す、スンダ民族」が住むところのことを指します。

ジャワ島というとジャワ語を話す、ジャワ民族の住む地方の方が知られていますが、それとは別の民族になります。

現在のインドネシアでは、西ジャワ州がこれに該当し、州都はバンドン市です。

写真展はそのバンドン市のシンボル的存在で、観光ブックなどにも登場するグドゥンサテの博物館で行われるというのですから、観光がてら行ってみたくなりますね。

さて、100年前に写真を撮影した日本人が、なぜ「謎」の人物と言われるのでしょうか。

そして、どのような写真が見られるのでしょうか?

次の見出しでご紹介する、青木さん作成の、佐竹輝信(さたけ てるのぶ)写真師についての説明文が、その解決の糸口になります。

なお、こちらの説明の中にある写真には、西ジャワ地方以外で撮影されたものもあります。

筆者が青木さんにお尋ねし、そのような写真の下には説明を加えました。

それ以外は西ジャワで撮影されたものですが、写真展では展示されていないものもあるそうです。

謎の日本人写真師佐竹輝信

青木澄夫『日本人の見た100年前のインドネシア 日本人社会と写真絵葉書』著者(じゃかるた新聞社、2017年)

この写真展で展示する写真は、日本人の写真師佐竹輝信が刊行した『スマトラ ジャワ バリ』に掲載された、1930年ころの西部ジャワの田園風景です。

写真師佐竹の人生は謎に包まれていて、ほとんどわからず、日本でもインドネシアでも今まで注目されることは、ほとんどありませんでした。

スマトラ島のカロ―バッタク民族のおばあさん

スマトラ島のカロ―バッタク民族のおばあさん

佐竹は、三つの顔を持ちあわせていました。

「アニアニ」を頭にさしているジャワ民族の娘さん

「アニアニ」を頭にさしているジャワ民族の娘さん

一つは1920年ごろから33年まで、東部ジャワのトサリ村で経営していたトサリ写真館館主の顔でした。

トサリ村はブロモ山の登山口にあたり、登山客や避暑客でにぎわう村でした。

佐竹は捨三郎と名乗り、販売した生写真の裏にはS. Satakeのスタンプが押されていました。

バリ島の闘鶏

バリ島の闘鶏

二つ目は、写真絵葉書販売者としての佐竹でした。

彼は大量に絵葉書を作成しますが、その絵葉書にはTosari Studioの名前が印刷されているだけで、佐竹の名前はありませんでした。

三つめは、1935年に刊行された写真集”Sumatra Java Bali”の著者であるK. T. Satakeでした。

佐竹は、1933年に病気のため、オランダ領東インドでの生活を終え、日本に帰国しました。

写真師生活の集大成として、イギリスで印刷し、1935年にスラバヤで刊行したのが、”Sumatra Java Bali”でした。

イギリスでの印刷に時間がかかったため、佐竹が日本でこの本を手にとったのは1936年の初めのことです。

本の厚さは4cm、重さは実に2.9kgの超大型豪華写真集(オランダ語と英語 336頁)で、名実ともにインドネシア写真史上、屈指のものと言えます。

しかし、自費出版のため制作部数は少なかったようで、現在入手は極めて困難です。(某オークションではUS$5000 )

K. T. SatakeのKは号の去有、Tは輝信を意味しました。

佐竹は、インドネシアの美しい自然や人々の営みの様子を、13枚のカラー写真と、スマトラ88枚、ジャワ293枚、バリ124枚のモノトーン写真計518枚で表現しました。

あくまで人々の暮らしぶりと天然美だけに限定し、華やかな都会の写真は一枚もありませんでした。

佐竹はインドネシアの自然を愛していたからです。

今回の写真展で複製展示するのは、”Sumatra Java Bali”に掲載された518枚の写真のうち、西部ジャワに関するわずか20数 枚の写真で、佐竹の全体像を示すものではありません。

インドネシアでは、日本人写真師はスパイだと疑われることが多かったのですが、今や失われてしまった光景や伝統を、佐竹の写真は私たちの前に再現してくれます。

スパイは大枚をはたいて、外国語で自費出版などしません。

ささやかな今回の写真展が、日本とインドネシアの友好の証として、写真師佐竹の再評価につながってくれることを期待します。

 

さいごに

以上、上の見出しでは、写真を含め説明文を、青木澄夫さんからご提供いただきました。

青木さん、ありがとうございます!

佐竹写真師がインドネシアの自然美をとても愛しているがゆえに、イギリスにまで持ち込んで、豪華版写真集を自費出版したのだとしたら、ロマンのあるお話だと思いませんか。

現在では写真集の現物がオークションでUS$5000もしているというのですから、日本円に換算すると57万円ぐらいになるようです。

筆者はバリ島の人々の昔の写真もどこかで見たことがあるのですが、ひょっとすると、同じく佐竹写真師の撮影したものだったのかもしれませんね。

昔の西ジャワの人々が子どもを抱っこしながら、お米を長い棒でついていたり、竹楽器アンクルンを持って集まっていたりといった風景を見ていると、タイムトリップしているような感覚になりそうです。

これを書いているのが2018年12月14日なので、残り2日間しか写真展は開催していないことになりますが、最後の15日(土)に行けたらいいなと思っています。

最後にもう一度、写真展の情報を書いておきますので、お近くの方や週末にバンドンに行かれる方はぜひお立ち寄りになってみてください。

「西ジャワ州のむかし写真展」Pameran Foto Jawa Barat Tempo Dulu

場所:グドゥンサテ博物館(Meseum Gedung Sate)

期間:2018年12月10日(月)~15日(土)