【ファタヒラ広場】これだけは知っておきたいジャカルタ誕生の歴史
ファタヒラ【ジャカルタ誕生日が6月22日である理由】Fatahillah✨
ファタヒラ(Fatahillha)は映画にもなった。ジャカルタがこうしてできたのだと思いを寄せると感動しませんか? 映画の終わりの方を拝借。この後、ファタヒラ司令官が最も信頼を寄せていた義父スナン・グヌン・ジャティが殉教し人々が礼拝に立ち映画が終わる。完全版もネットで見れる。ファタヒラを演じるのは、ジャカルタ生まれジャカルタ育ちでアラブ、ジャカルタ、オランダの血を引く政治家イゴ・イルハムさん。
1527年6月22日、ファタヒラ司令官がポルトガルをスンダ・クラパ(今のジャカルタ)から追い出したのがジャカルタ誕生の日だと知っていましたか?
チルボン軍司令官ファタヒラは生まれも育ちもパサイ王国(アチェ)。インド系アチェ人で先祖はアラブ人。良家で育った彼は1521年、メッカへ渡り学問を修め、パサイ王国に帰ろうとしたけれど、国はポルトガルに攻撃され戦乱に満ちていて上陸を断念。故郷の人々が酷いことになっていて、さぞ悲しく悔しかったことでしょう。
止む無くジャワ島のデマック王国へ
上陸したファタヒラは、メッカで学び、宗教と戦術に長けていたのでデマック国の司令官に登用されたばかりか、王の妹と結婚をし揺るぎない地位を得ました。デマック国王の家系には華人の血も含まれていたので、その奥さんは目が小さかったのだとか😊
スナン・グヌン・ジャティとの出会い
その後、ジャワ島で布教をしていたやはりパサイ(アチェ)出身でインド系かつアラブを先祖にするスナン・グヌン・ジャティの娘と結婚。スナン・グヌン・ジャティはジャワ島で有名な9人の伝道師ワリ・ソンゴのひとりで、なんと先祖は預言者ムハンマドさままで辿ることができる人。今でもインドネシアで知らない人はいないほど有名なんですよ。
この義父はバンテン王国をつくったと言われてます。この時、ジャワ島へも侵略しようとしていたポルトガルに対し、デマック王国、チレボン王国、バンテン王国の3国が結集しようとスナン・グヌン・ジャティとファタヒラは戦略を立てたんです。
しかし、この頃、同じくジャワ島で弱い立場だったスンダ(パジャジャラン)王国はなんとポルトガルと協力関係にあったんですね。スンダ王国はチレボン王国やバンテン王国を脅威と感じていたのでポルトガルに支援を頼んだんです。
スンダ・クラパの戦い
スンダ・クラパという名前からも分かるように、スンダ・クラパ(今のジャカルタ)はスンダ王国のものだったんです。ポルトガル軍はスンダ王国を助けるという名目でスンダ・クラパにやって来て、それを待ち構えていたファタヒラ率いる3国共同軍が迎え撃ちをした。それがスンダ・クラパの戦い(戦いの名前はあるのかないのか?)です。
スンダ・クラパを守ったファタヒラ司令官は英雄中の英雄と言えるのではないでしょうか。そして、スンダ王国の名を冠したスンダ・クラパはもはやふさわしくないですよね。なのでファタヒラ司令官がジャヤ・カルタ(引き寄せた勝利、確かな勝利)という町の名前を付けたとされてます。
1527年6月22日、スンダ・クラパからファタヒラ司令官率いる軍隊がオランダを追い出し、バンテン・チルボン・デマック王国の統治下に置かれたので6月22日がジャカルタ誕生の日として今も祝われてます。多くの犠牲の上に勝ち取った勝利の町、それがジャカルタです。
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